地味な交通機関が好きです。そして、そんな交通機関がかつてあった跡地に立ち、思いをはせるのも好きです。
そんな超地味な跡地の碑をちょっと並べてみようと思います。しかも千葉の印旛沼周辺だけというさらにローカルさマシマシで。
きっかけはこの碑でした。
印西市から佐倉市へ向かう道沿いに立っている黒光りする立派な記念碑。かつて通勤で毎日のように通っていたのですが、当時は気にもとめていませんでした……。
それがいつの間に、あれってなんだろう? もしかして……、うわやっぱり渡船場跡だった! みたいに変化していきました。私の視点が変わっただけなのですけれど。
調べ始めると、かつて印旛沼周辺には数多くの渡船があったことがわかってきました。
少し離れますが、こんなのもありました。
これはどちらかというと記念碑がマイナーで、よく知られているのはこちらのバス停のほうかもしれません。
すでに「渡し」が無いことは重々承知だったのですが、まだこんな呼び名が生きているのですね。
さて、おもしろくなってきました。図書館で見つけた「いんざい再発見」という本に気になる記述を発見しました。旧印旛村地区に標識が残っている渡船場跡が8箇所あるというのです。
ならば、めぐってみよう! と思ったのですが、車を置ける場所が無かったり、どう見ても個人のお宅の庭じゃないかなここ……みたいなところもあったりで、いくつかは見つけられていません。
とりあえず、発見したところだけ、以下にどん。
鎌苅
瀬戸大川岸
平賀浅間
もう完全に文字が消えちゃってつるつるですが、たぶん、平賀新福寺
平賀花島
あと、吉田、岩戸、師戸が未訪問未発見です。区画整理などで無くなっちゃってる可能性もありそうです。
いずれも碑の背景を見ても、沼の水が見えません。大規模な埋立があったのですね。さっきは「思いをはせるのです」とかかっこいいこと言ってますが、正直水の見えないところで渡船を想像するのはなかなか難しいです。だからこそよくぞこうした記念碑を立ててくださった! と思うわけですけれど。
現役の渡船も追いかけたりしていますが、いくつかは私がめぐりはじめてから廃止となりました。線路と違って簡単な桟橋があるだけですので、すぐに跡形もなくなります。せめてにおいがあるうちに写真に残しておきたいなあと思うのです。
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